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自由研究

《 第三考:入間市志茂町の古山車は川越氷川神社絵馬にある川越市喜多町の山車? 》

第一考に引き続き、入間市志茂町の古山車の話題である。その後も調査、取材を
続け、新たに分かったことを記しておく。まず、入間市高倉で伺った、所沢の
「あずまや」という人形店の件だが、今も営業しており、話を伺うことが出来た。
伺った話を要約すると東屋(あずまや)では、山車を2台所有していたというのだ。
ともに人形を乗せた人形山車で、依頼があれば職人ごと貸し出しをしていたという。
バラバラにしてしまってあったので東屋の職人が行って組み立てたという。東屋では
人形だけを貸し出していたかは分からないとのことであったが、山車の貸し出しを
していたのは間違いないようだ。3、5月は雛人形、五月人形で忙しく、田無や府中の
方にも「市(イチ)」があると出向き、人形を売っていたという。その他は、来年のための
人形作り。地口絵や、提灯、そして、山車の貸し出しが仕事となっていた。2台あった
山車の行方はわからないとのことだった。この東屋は、嘉永二年創業の人形店で川越藩主
松平某(詳細不詳)に「東玉斎」という称号まで頂いたほど有名な人形店だったようだ。
このような話から入間市高倉で人形は所沢の「あずまや」から借り…という話も、話としては
繋がったことになる。この人形が高倉へ貸し出されていたとみて良いと思うが、
例の入間市志茂町の古写真の人形が東屋所有のものであったかどうか…? 
残念ではあるが、この点までを解明するまでには至らなかった。

絵馬
もう一点、こちらは人形ではなく、一本柱型の山車の話である。前回、この志茂町の
古山車が天保15年の川越氷川祭礼絵馬に描かれた喜多町の山車ではないかと、
お伝えしたが、本に載っている写真だけでなく、やはり、実物を見て検証するべきで
あろうと、所有者である川越氷川神社と、所蔵先となる川越市立博物館のご協力の下、
今回、実物を見ることができた。厳重に梱包された 絵馬は、予想以上に大きく 、迫力の
あるものであった。長谷川雪渓の作とされ天保15年の川越氷川神社本殿改築の折に
鳶連中が奉納したものという。早速、行列の先頭を行く喜多町の山車に注目してみた。

絵馬
注目すべきは、入間市高倉に現存している、柱の波型彫刻と、龍の持ち送り彫刻が
絵馬にも描かれているかどうか?である。その部分を拡大してみたのが下の写真。
上の写真ではよく分からなかったが、水引幕の下、太鼓の上の見える柱部分に龍の
持ち送り彫刻にあたるものが描かれているのが確認することができた。:平成17年撮影
拡大 拡大
実際の色合いに近い左側写真では分かり辛いので、同時に撮影モードを変えて撮って
おいた写真(右写真)も掲載しておく。下写真が入間市高倉に現存している彫刻。
(平成17年撮影)
持ち送り彫刻 持ち送り彫刻
高欄(人形台、盛留)を支える持ち送り彫刻の取り付け位置としては少々下になって
しまうが、龍の持ち送り彫刻が、他の山車には無く、この山車の特徴であった
としたなら、絵馬として省くことの出来ない部分であったかもしれない。位置に
多少のズレがあったも描きいれたとも考えられる。意匠としても高倉の彫刻に見られ
る火炎っぽい造形が絵馬の方にも見られる。柱に波型彫刻が見られないのがおしい
ところだが、川越市喜多町→入間市志茂町という口伝の裏付けに一役買ってくれる
材料となると思われる。文書が出ない以上は確定することはできないのであろうが
小さな材料を集めることで信憑性が高まればと、以後も調査は続行していこうと
思う次第である。折角なので、入間市志茂町の古写真と絵馬の写真を並べてみた。
古山車 絵馬
絵馬の方の山車の囃子台が人の背丈より低いのも気になるが、車輪、車台は傷むもの
なので改造されたとしても不思議はない。気になるのは手。やはり、人形の手は
逆の手が上がっている。現在の俵藤太と絵馬の俵藤太はともに右手を上げている。
喜多町の人形は江戸時代からのものと地元で伝わっているので、やはり、山車のみ譲られ、
東屋より人形を借りた…というのが今の所、一番すっきり収まるか考えではないかと思う。
(下の左右の写真ともに:平成17年撮影)
人形 絵馬
その手のことの検証のため、文政九年の川越氷川祭礼絵巻の喜多町の山車の絵も
ここに掲載する。こちらも、やはり右手が上がっており現在の人形と合致した。
(平成17年撮影)
絵巻

今回の絵馬取材後、川越市立博物館において絵馬展がひらかれ、この川越氷川祭礼絵馬も
展示された。そちらも今一度取材した所、気になる点が出てきてしまった。が、それは、
次回へと持ち越すこととしたい(文面の御確認頂いている為)。この絵馬展の模様は
「重松流祭囃子」のHPで紹介されているので、そちらも御覧下さい。同HPでは、
所沢市御幸町の山車人形との関係から川越市本町(現元町一丁目)の「関羽と周倉(以前は
劉備玄徳とされていたが最近では周倉とされている)」について掲載されている。

「重松流祭囃子」へはコチラから>> 重松流祭囃子 <<「重松流祭囃子」へはコチラから

今回、取材に際し、川越氷川神社様、川越市立博物館様、東屋様には掲載の
御許可、御協力頂き、深く御礼申し上げます。ありがとうございました。

表紙 川越氷川祭礼絵馬、川越氷川祭礼絵巻についての詳しい情報は 川越市立博物館発行の「川越氷川祭礼の展開」に掲載されて おります。その他、川越の山車やそれに関する書物、文書等 多数、掲載されております。お問い合わせは川越市立博物館 まで。

(平成17年取材時)
2005.5.16up

※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。

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