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自由研究

《 第五考:若狭流の伝播〜川越市信亀会囃子連調査資料から〜 》

 今年の川越まつりにて、旭町三丁目の山車の前に気になる資料が 張り出されていました。それは、「若狭流」の伝播についての資料でした。 「若狭流」は入間郡各地の広域に伝承されている流派で、伝承している 団体も多い囃子です。
 旭町三丁目、信亀会囃子連のI鼻氏に掲載のご許可が頂けたので、 以下にその全文を掲載させていただきました。※文面の無断転載、 掲載を禁止します。

旭町三丁目、若狭流調査資料
県の調査によると、王蔵流、芝金杉流にも堤崎流にも入っておらず、 単独で書かれているが、川越市の二十周年記念誌によると、「堤崎流の 上尾堤崎から伊佐沼を通じて新宿囃子連に入ってきている」となっている。
 新宿町の古い資料によると「1853年(嘉永6年)7月頃から菅間村の 松五郎を師として始まった」としてある。その菅間村は今は無く、伊佐沼 囃子も残っていない。このままでは仕方がないので先を追わず、新宿から 教わったという入間の高倉舞子連(囃子連)を調べてみた。
 埼玉県民俗芸能調査報告書、埼玉の祭り囃子(入間地方編)によると 「高倉の祭り囃子の起源は明確ではないが、嘉永年間頃から行われ、 明治の初期に川越新宿囃子の協力を得て盛んになった」とある。
 もう一方は飯能の祭り囃子である。飯能の流派は2つに分けられる。 神田大橋流と神田若狭流である。若狭流の系統を見ると、入間高倉の 名前があるが、高倉囃子連は、川越新宿囃子連から教わったとあるが、 下直竹囃子連の伝承所によると「江戸時代のころ川越近郊を経由して 囃子が伝えられた」とある。飯能の前田囃子連の囃子を聴いてみると 新宿に良く似たところが多く、この川越近郊とは新宿囃子連のことでは ないかと思われる。若狭流をこれから調べてみたい。

 小田原囃子が川越に伝播したのは右記(当HPでは下の図に挿入)の通りです。江戸時代も 1800年代になりますと日本近海に外国船が来航。幕府は、川越藩をはじめ 関東諸藩に、江戸湾防衛を命じましたが三浦半島に広大な領地をもっていた 川越藩は武士だけではなく一般の人達も多く、三浦半島に行っており、 小田原藩住人との接触があったと思われます。推測ではありますが、 この人達の中に小田原地方の祭りに触れた人達がいたことは確かだと思います。 小田原囃子もこの様な背景で伝わった事も考えられます。現在調査中 信亀会囃子連

菅間村の伝承

ペリー来航後川越藩は江戸湾防備に多くの農民兵を川越藩領であった三浦半島に 出しました。その中でも菅間村がもっとも多く、この人達は任期の2年が終わると 伊豆一ノ宮にお参りし小田原に宿泊したとの事です。この時に小田原の祭りに 触れたとの伝承があったそうです。

※新宿より伝えられたところは全て小田原囃子若狭流と伝えられたようですが、 新宿に流派を書いた記録等がなく詳細は現在調査中です。

以上が全文です。
謎に包まれていた川越市菅間以前の調査がなされており大変興味深い資料です。
 補足しますと、旭町三丁目の囃子は信亀会囃子連によって行われているのですが、 現在の流派は堤崎流の流れを組む囃子となっています。伝授されたのは同市、 新宿囃子連からで、新宿では堤崎流より以前に古囃子として囃子が演奏されていました。 飯能市原町の伝承では明治2年に川越市新宿町の飴売りのコウさんが町内の若者に 小田原囃子若狭流若囃子を口伝で伝えたとされることから、この川越市新宿町の古囃子は 小田原囃子若狭流であったと考えられています。川越市新宿町、旭町三丁目ともに古囃子、の 若狭流の一部の曲が現在も伝わっており、演奏されています。
 下の図は管理人が独自に調査した結果と 飯能市郷土芸能保存会記念誌に掲載された図を参考に、若狭流の伝承地の位置関係と伝承の 流れを大まかに示したものです。広く伝承されており、明治頃に町となっていた地区(地図上赤い点)には 若狭流が伝承されているのがわかります。
 地図には現在、若狭流を演奏している地区を朱色、 昔、若狭流を演奏していたが現在は違う囃子となった地区をピンク色、若狭流であったが 現在休止中の地区を水色。一部に若狭流が残る、川越市新宿、旭町三丁目は黄色、白は、今回、信亀会囃子連 調べにより、伝播経路として有力な地区。緑色は管理人が取材し、若狭流の地区から伝授されたという伝承が ある地区、又は演奏される囃子が若狭流と似ている地区です。また、色味が薄い地区は伝承があるが 若狭流の可能性が低い、又は大きく異なると思われる地区としてあります。

 今後、当HPでも継続して若狭流の調査、報告を行っていきます。ここに記した以外にも気になる地区が まだまだあり、調査を進めているところです。
 何か情報をお持ちの方の御連絡もお持ちしております。


今回の資料を盛り込み、伝承地の位置関係を地図化しました。地図をクリックすると拡大されます。
地図

※資料提供してくださった川越市旭町三丁目、信亀会囃子連様、I鼻様、厚く御礼申し上げます。

(平成18年取材時)
2006.12.2up

※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。

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