タイトル

東京都瑞穂町

瑞穂町石畑
前(2009) 後(2009)
側面(2009) 一本柱構造(2009)
 明治12年に地元大工、吉岡助右衛門の手により製作。彫刻は「彫徳」。石畑下組が所有していた現所沢市御幸町 の山車に対抗して石畑上組で作られた。八王子型一本柱建て人形山車の 中でも珍しい「中建て」式の構造を持つ。後部から一本柱を建て起こす構造が多い中、組み立て中に一本柱を 組み込むか、屋根上から一本柱を差し込んだと思われる構造を持つ。人形は製作当時からなく、 御幣を立てている。前輪を受ける桁が一本で南高麗型の構造も見られる。
 演奏は地元、石畑囃子連が担当。流派は重松流。

瑞穂町高根
前(2008撮影) 後(2008撮影)
側面彫刻&御簾(2008撮影) 新調彫刻(2010撮影)
 平成20年に有志の手作りで4つ車、唐破風付きの囃子台をもつ山車(屋台)が製作された。 現在でも進化を続けており彫刻類の充填などが行われている。先代は昭和23年、やはり地元有志の製作という、 唐破風付きの屋根を持つ山車(屋台)であった。それ以前には、屋根上に天竜を乗せた 一本柱建て(八王子型)人形山車(屋台)があったとされる。彫刻も施された、かなり大型のもので、 人形は、坂田の金時(金太郎)が熊と戦っているのを上から渡辺綱(ワタナベノツナ)が見下ろしているという 3人(?)立てであったという。
 演奏は地元、高根囃子保存会が担当。

瑞穂町殿ヶ谷
前(2009撮影) 後(2009撮影)
人形(2009) 一本柱構造(2009)  安政年間に入間川村(現狭山市)の甲田了作により建造と伝わる。殿ヶ谷で製作され砂川村九番組に売却、 明治15年頃砂川村九番組から買い戻したという説と、砂川村九番組から購入という2説ある。購入時に 盛留(一本柱高欄)を甲田了作に依頼して製作。人形は砂川で手放さなかったため、購入時にはなかった( 一説には山車を売る派と売らない派でもめ、売らない派が人形を隠してしまったとも)。その人形も 平成21年の瑞穂産業祭に製作途中ながらお目見えし、素盞嗚尊が山車の上に飾られた。
演奏は地元、殿ヶ谷囃子連が担当。流派は重松流。

瑞穂町箱根ヶ崎
前(2010撮影) 後(2010撮影)
羽目板の唐獅子彫刻(2010撮影)
 唐破風付きの屋根を持つ山車(屋台)で、四つ車。前輪に舵が付く。昭和28年4月に地元大工 村山由七、泰蔵 父子により建造。車大工は青梅市勝沼の峰岸五三郎。 左写真の唐獅子彫刻は側面羽目板に付けられているが、狭山神社祭礼幟の「かんざし」の彫刻を充填したもの。 他にも先代の山車から流用した部材が使われている。その旧山車は遺された盛留(人形高欄)から、高欄が二重と なった盛留を持つ八王子型一本柱建て人形山車であったと推測されている。
 演奏は地元、箱根ヶ崎囃子連が担当。流派はあだち流。

掲載順はアイウエオ順。
参考文献「瑞穂の山車建築」

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