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東京都羽村市
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羽村市東町 | |
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文久2年の作とされる山車を大正8年に砂川村一番組から譲渡された。作者は伊藤清右衛門ほか14人の大工彫刻師とされる。 現在は屋台として曳き廻されているが、八王子型一本柱立て人形山車(屋台)で、以前は屋根の上に後方から一本柱を建て、頂上に 六角形の高欄を配し、明治4年、鼠屋武善作の素戔嗚尊と八重垣姫の人形を乗せていたとされる。 現在では高欄と人形は会所に飾り置きとなっている。山車には往時の構造が残され、 八王子型人形山車の構造を知る貴重な資料となっている。 演奏は地元、東町囃子保存会が担当。流派は重松流。 |
羽村市小作本町 | |
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昭和45,6年頃に坂上建設の作。彫刻は町内在住の方の手による。製作にあたり、古い民家を解体した際の材を何件分か使い 山車の材料とした。 演奏は地元、小作本町囃子保存会が担当。戦前に途絶えたが、同市加美町から習い復活。重松流の囃子を演ずる。 |
羽村市加美町 | |
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車輪の制作年代が明治5年とされ、山車本体も同時期の作ではないかとされる。前輪は大八車が利用され、前方に突き出た木鼻が
特徴的。この木鼻は自由研究の項でもご紹介した南高麗型の形状を有している。また車台下部の構造には一本柱を建てられる
ように2本の部材が車台中程〜後部までレールのように通り、貴重な遺構が見られる。以前は所沢から人形を借りてきて乗せていたという
伝承から往時は八王子型一本柱建て人形山車(屋台)であったと考えられる。昭和47年頃の改造で現在の形となった。
演奏は地元、加美町囃子保存会が担当。流派は重松流。 |
羽村市川崎 | |
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昭和57、8年頃に所沢の宮大工、本橋吉蔵氏によって建造された。氏の作として所沢市金山町、星の宮の山車がある。 車台前面に突き出た狭めの幅の木鼻が特徴的。 演奏は地元、川崎囃子保存会が担当。流派は重松流。 |
羽村市五ノ神 | |
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昭和48年に福生市志茂第二町会で製作された山車(屋台)を平成20年に譲渡され、平成21年より曳き回しを始めた。 装飾(鬼板や彫刻)などは新規に追加されている。 廻り舞台を擁する。演奏は地元、五ノ神囃子保存会。流派は重松流。 |
羽村市奈賀町 | |
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文久2年の製作。砂川村六番組所有の山車を大正8年に譲渡された。往時は八王子型一本柱建て人形山車(屋台)だったとされる。 近年改造されたが、車台に一本柱を建てた跡が残る。左写真は一本柱を建てるためのホゾ跡と思われる貴重な遺構。以前はこの 山車(屋台)の他にもう1台山車を所有していたが現在は、この1台だけとのこと。 演奏は地元、奈賀町神田囃子保存会。神田囃子が演奏される。 |
羽村市緑ヶ丘一丁目 | |
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昭和59年4月に地元大工の手により完成。 当地は元々奈賀町だったため、奈賀町の囃子を出来る方が指導者となり、奈賀町と同じ神田囃子を伝承した。 |
羽村市緑ヶ丘ニ丁目 | |
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平成14年に一本柱万燈型の山車として曳き回したのが始まり。現在の形になったのは平成15年。 骨格は地元大工の手により作られ、装飾(彫刻など)は有志の手作りによる。人形も手作りの「翁公」。 人形の乗る高欄は6角形で一本柱が支えている一本柱型人形山車の形式で、高欄ごと人形が上下する(錘を使った構造は特筆モノ)。 一本柱構造のため、人形は格納されないので、曳行時にも人形を見ることが出来る。 囃子は同市、川崎囃子保存会から習っている。流派は重松流。 |
羽村市緑ヶ丘西 | |
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町会発足直後の昭和53年頃に地元大工の手により作られた。 当地は元々奈賀町だったため、奈賀町の囃子を出来る方が指導者となり、奈賀町と同じ神田囃子を伝承した。 |
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